会員リレー・エッセーC

冷夏の思い出
  

        
村尾 祐美子     

 
 1993年は記録的な冷夏だった。米不足で騒ぎになった年と言えば、「ああ、あの年か」と思い当たる方もいらっしゃることだろう。その不可思議に涼しい夏に、リクルートスーツを着込み、大学4年生の私は官庁街を歩いていた。そこでの不可思議な経験は、今にしてみると、私の研究人生にとって、意外に重要なものであるような気がする。

 国家公務員試験は実際の採用数よりも多くの合格者を出すので、結果発表後に合格者は官庁を個別訪問し(これを「官庁まわり」という)、面接を受ける。それで合格になればその官庁に採用されるし、不合格であればそれまでである。私の場合、国家二種の試験に合格したので(一種は落ちた)、「官庁回り」をはじめたのである。

 「官庁まわり」をしてみてまず驚いたのは、私が訪問した霞ヶ関の省庁のことごとくが、女性の採用予定をあらかじめ○人とか全体の○割とか決めていたことである。数で言うにせよ割合で言うにせよ、女性の採用予定は全体の1割程度のところがほとんどだった(ちなみに、私が訪問した中で最も女性の採用予定割合が高かったのは警察庁で、3割程度だった)。もちろん、試験合格者に占める女性の割合が1割だったなら、この数値は納得できる。しかし実際には、合格者の女性割合は1割よりもずっと高かったと思う。合格者向けの合同説明会参加時に周囲を見回したり、「官庁まわり」解禁日の官庁の待合室で手持ちぶさたに男女数を数えたりしたのだが、そこにいる女性の比率は明らかに1割をはるかに超えていた。要するに、「女性は採用数の1割とする」とすることで、男性に比べ女性の選抜基準を厳しくしていたのであった。

 第二に驚いたことは、もし採用されても、男性とは違う職務に就かされると決まっている省があることだった。同じ国家二種として採用されるのに、である。当時の私は「公務員は男女差別が少ない」というイメージを持っていたので、大変な驚きであった。「二種では、女性は計算機センター(「統計センター」だったかも?)での採用だけです。本省採用はありません」と、ある省の面接官は言った。男性の本省採用者数を聞くと、二桁との話であった。また別の省の面接官は、「二種の女性は、入省後三年間は秘書として働いていただきます」と言う。ちなみに四年目に秘書業務から戻っても、同期の二種の男性と同じような仕事には就けないらしかった(それはそうだろう)。「偉い人に会えますよ」と、取りなすように面接官は言うのだった。ともかく、同じ二種採用でも、採用時から職務配分に男女差がある。そしてそれが職業上のキャリアの男女差に直結している。こうしたことは当時の私でもよく分かった。

 第三の驚きは、上記のような話が、非常にオープンに語られていることだった。採用予定に占める女性の割合などに至っては、合同説明会でマイク片手に言及している省庁もあったほどだ。男性と違う職務に就くという話についても、面接の中で、あたりまえのように語られていた。念のために繰り返しておくが、私がこれらの経験をしたのは1993年で、もちろん男女雇用機会均等法の施行後である。当時、募集や採用や配置における均等待遇は事業主の努力義務だった。お膝元の霞ヶ関でこんなことが行われていて、しかも誰もそれを問題とも思っていない。それが驚きであった。

 試験成績がよくなかったのか、「官庁まわり」での面接態度に問題があったのか、何か他の理由か分からないが、結局私は採用されなかった。そして、自分の不採用はともかくとして、「同じ国家二種でも、選抜基準も仕事の配分も職業上のキャリアも、男女で違うのだなあ」とつくづく思ったのであった。

 その後私は大学院に進み、「男女双方を含む労働市場のなかで、地位や社会的資源がどのようにジェンダーに影響されつつ配分されているのか」をテーマに研究をしている。このテーマを定めてまず考えたのは「男女の労働市場における地位を測定するためには、単なる職業・職種カテゴリーや階層区分ではなく、実際にどんな働き方をしているかということに注目することが必要なのでは?」ということで、このアイディアに基づき、私は最初の論文を書いた。このアイディアがどこから来たのかをつらつら考えるに、もちろん先行研究からの刺激もあるのだが、あの冷夏に経験した驚きの数々も、結構重要な役割を果たしているようだ。

 私の場合は、不可思議な経験をしても、それがその後の人生に微妙に役立っている気がするので、まだましかもしれない。しかし「官庁まわり」で私が遭遇したのは、明らかに性差別だった。今もあのようなことが続いているのか、それとも今はあんな差別はなくなったのか。それが非常に気になる。