女性労働問題研究会 秋の研究例会に参加して
  

        
加藤 喜久子  (北海道情報大学)
  
 

 
 
  今年の秋の例会では、11月24日(月・祝日)、WWNとの共催によるシンポジウム「女性差別撤廃条約を職場で活かしましょう」が、午後1時30分より、明治大学リヴァティタワー7階1073教室を会場として開催され、雨の中73名の参加がありました。
 今回の企画は、結成後13年目を迎えたWWNの越堂静子さんたちが、今年ジュネーブに女性差別撤廃条約(CEDAW)のワーキンググループを訪ねたことから実現したものです。
 お二人のパネリストのうち、一人目の近江美保さんは、国際女性の地位協会の理事として、『女性差別撤廃条約 選択議定書 活用ガイド:私たちの権利は“選択”の問題じゃない!』(IWRAW Asia Pacific編、国際女性の地位協会)の翻訳代表者という立場から、女性差別撤廃条約のしくみと、その後成立した「選択議定書」の意義についてお話下さいました。
 女性差別撤廃条約は、1979年12月18日に採択され(1981年9月3日実効)、来年で30年という節目を迎えます。日本は1980年7月17日に署名し、1985年6月24日批准(7月25日実効)しています。これによって、わが国でも国籍法改正(国際結婚における親権父権主義の撤廃)や家庭科の男女共修とともに、雇用機会均等法が成立することになり、男女平等運動をすすめる大きな足がかりができたことは記憶に新しいところです。近江さんは、現時点で、女性差別撤廃条約の1条から「意思がなくても結果によっては差別になること」を読み取ることができること、また2条では「差別をなくする義務が締結国にある」という規定に注意を向ける必要があると指摘されました。
 この条約の実施を監視するシステムとしては、23人の専門家が個人資格で属するCEDAW委員会がおかれています。CEDAW委員会は条約を批准した各国の政府に、効力発生後1年以内とその後は4年ごとに報告書を提出させ、他方ではNGOからの意見も聞きながら建設的対話をもとに政府の取り組みを評価し提案を行っていく活動をしています。日本からは1987年に赤松良子さんが委員となっていますが、2008年からの3年間は、林陽子弁護士に決まり、これからの活躍が期待されると話されました。
 つづいて「選択議定書」についての説明がありました。「選択議定書」とは、条約に新しい制度を追加するもうひとつの条約です。締結国は、さらにこの条約を批准するかどうか、選択することができます。運動をすすめるうえで、法の後ろ盾があるかないかは、結果を大きく左右するといえます。CEDAW条約の選択議定書は、女性差別撤廃条約の実施がさらに有効になるよう、新たな制度として、個人通報制度と調査制度を追加し、個人を救済する道を開くものです。通報制度によって、CEDAW条約で保障された権利の具体的な違反について、個人や集団が、委員会に直接苦情を申し立てること、および人権侵害に対する救済をもとめることができるようになります。調査制度は、CEDAW委員会が、「重大または組織的な」侵害に関して調査を行うことができるというものです。これまでに通報した11ケースのうち4ケースが違反と認定されているとのことでしたが、翻訳された資料によると本人が殺害されるなど深刻なケースが含まれていました。
 
 会場では『女性差別撤廃条約 選択議定書 活用ガイド』が販売されました。それによれば、CEDAW条約の選択議定書は、1993年ウィーンで開かれた国連世界人権会議で提案されました。1995年の国連世界女性会議(北京)での勧告の後、1996年から1999年まで女性の地位委員会の作業部会で条文が検討され、最終的に国連総会での採択を経て、1999年12月10日に各国署名の運びとなったと記されています。日本は、G8メンバー国で唯一CEDAW条約の選択議定書を批准していない国ということですが、今年6月20日に参議院で批准を求める請願が全会一致で可決されていることは朗報といえます。
 今後のわが国での運動とのつながりでは、個人通報制度は、国内で救済の道がふさがれてしまったときの打開策となる可能性があること、また、女性差別撤廃条約に照らしてどうかという訴えを起こしたり、国の責任を明確にすることを求める方向での活用が考えられるということです。
 今回初めて詳しいお話を伺いましたが、日本で議論ののぼるまでにずいぶん時間がかかっていることに驚いております。今後の展開が期待されます。
 二人目のパネリスト、スリランカ出身のクリシャンティ・ダルマラジさん(Ms Krisshanti Dharmaraj)は、現在アメリカに住み、人権問題コンサルタントとして、女性差別撤廃条約の地方公共団体による批准・実施を推進されてきた方です。2000年には、反人権主義・差別撤廃世界会議(ダーバン会議)のための米国NGO委員会の共同委員長を務められ、2005年にはスリランカ子ども基金を設立するなど、国際人権条約を活用した活動を推進されています。今回は、現在在住のサンフランシスコ市で、自由権規約と社会権規約を実施する人権条例を通すためのアドボカシー戦略に取り組んでいる立場から、お話いただきました。
 初めに、アメリカは、女性差別撤廃条約に1980年にカーター大統領が署名したものの、まだ批准されていないので、オバマ大統領のときに批准するよう願っているという発言がありました。そういわれるのは、この条約が重要であると考えておられるためです。クリシャンティ・ダルマラジさんは、国の批准を待つのではなく、地方公共団体の条例として批准・実施する道を提案しました。その結果、サンフランシスコ市は、1998年4月に女性差別撤廃条約をアメリカで初めて批准し条例として採択することになります。このことがアメリカでの男女平等の進展に大きな意味をもつことは明らかです。彼女は、公共部門で男女平等がどのようにすすめられたのか、具体例をあげながらこの10年の変化について語って下さいました。
 採択されたとき、市の女性の地位委員会は、差別に反応するのではなく、差別をなくするために条例を使うことを確認したということです。将来的には市政における差別をなくし、さらにそれを民間に及ぼすことがめざされました。実施にあたって、まず市政・予算・サービス・雇用に関するジェンダー分析を行うこと、次に実施態勢を準備すること、最後に市の意思決定につなげることが重要とされました。
 
 ジェンダー分析では、「街灯を設置する部門」の例があげられました。なぜ女性が少ないのかを調べたところ、仕事が大変だからにみえましたが、実際は仕事の開始時間が託児所に子どもを預ける時間よりも早いため、子どものいる女性は働きたくとも働けないことがわかってきました。そのため、フレキシブルワークが勧告され、フレックスタイムと職場での託児の制度が採用されることになります。また、女性が増えるとセクシュアル・ハラスメントが起きやすいため、セクハラに関する研修やセクハラを受けた人へのサポート態勢も整備しました。10年後の今日では、街灯を設置する間隔に、女性の視点が取り入れられ、以前よりも近い距離で設置するような変化が生じているということです。
 フレックスタイムは条例で定められています。これにより、1週間のうち1日在宅できるなど、うしろめたい気持ちなく育児や介護をしながら働けるようになりました。これまで単親世帯の人は、夜勤ができないと評価が下がり昇進できませんでしたが、フレックスタイム導入により、昇進の可能性が開かれました。
女性の視点という点では、2人の女性の局長が誕生した少年保護観察局で、少女に対して少年よりも長い観察プログラムが必要と認識され、女性職員の雇用を増やす予算措置がとられることになりました。
 女性の比率を増やす取り組みも増えています。芸術文化委員会では作品展示を希望する女性の芸術家が少ないので、その理由を調べたところ、月曜日の朝8時に本人が来て抽選をする方式がとられていたため、学校に行く子ども送っていくと間に合わないことが判明しました。代理の抽選を認めたところ、女性の応募が30%増加することになりました。
 こうした試みを10年継続し、市役所では女性の比率が半数に近づくよう、職域毎の男女比の検討もすすめています。現在は、サンフランシスコ市から民間企業への働きかけも行っているとのことでした。
 この試みが成功した社会背景として、クリシャンティ・ダルマラジさんは、北京会議後政治の場における女性勢力の拡大があると指摘されました。カリフォルニア州では、市議会の半数以上を女性が占めるような変化が生じたそうです。アメリカと日本では政治の制度が中央だけでなく、地方政治においても異なっていることを理解する必要はありますが、人権の枠組みを使って、アファーマティブ・アクションを確保しようという彼女のアイデアが、女性差別撤廃条約の条例化という新たな道を開いたことを知り、感動いたしました。
 飛行機の関係で質問時間を残して会場を後にしましたが、女性労働問題研究会の活動が、世界の女性たちの様々な運動とむすびついていることを実感した収穫の多いシンポジウムでした。

                                        記 加藤喜久子(北海道情報大学)